社会が豊かに幸せになるような必要とされる商品・サービスを提供し企業も潤うビジネスを追求。
「同質の中の安定より異質の中の刺激」を求めお互いに磨き合いながら成長していきましょう。
何故、とやまITベンチャー(産学公連携異業種交流)か。
まず自分が成長したい人材、人物であるかどうかである。そして「give and take精神」を持って異質な人にも積極的に交流を求める人かどうかである。
中小企業の経営基盤は大きく分けて二つある。一つは社長の能力、もう一つは社員の能力。
従来の中小企業は、ほとんど社長の能力で全て行ってきたが、社長の能力が優秀であればよいが、中小企業にはそんな優秀な社長ばかりいるはずはない。
個人的商売は経営者一人でなんとでもなるが、社員が5~10人になると社長の能力と共に社員の能力は同じくらい重要である。
さらに50人以上になると社員の能力はより重要となる。では、どうすればよいか。
まず、社長の能力を上げる。社長の能力を上げないと話しにならない。次に社員の能力を上げること。
この様な機会の一つがとやまITベンチャー協議会です。
「社長の能力を上げていく」ことは難しいことである。何か新しいことをやろうとして、やれるのは50人に1人、100人に1人である。それほど難しい。だから自分を磨き刺激励まし合う産学公連携の「会」が必要である。会に参加して、こんなことをやろうと実行することが大切であり、勉強するだけが目的ではない。何をやるかのキッカケ、学び、行うことが第一。単に、販売をどうする、仕入れをどうする、ものをどうつくるということではなく、社長の人間力向上を考えるしかない。それが人生哲学にもつながっていく。
ここで大事なのは、必ず一つでも二つでも何か行動に結びつけなければならない。何か一つやっていくと、エネルギーが出てきて、人は前向きになって来る。そこからいろんなアイディアが出て来る。人や中小企業の経営者の能力はそう大して変わらない。扱っている商品は大して変わらない。特別素晴らしい商品なら、ほっといても売れる。どうしようもない商品なら、どんなに頑張っても駄目。私達がやっている多くはそこそこのものがほとんどである。
そうすると、社長にもそんなに差がないし、商品も極端に差がない。差が一番あるのは社員である。大企業に、入ってくる社員はそこそこであり、ほっといてもそこそこやる。
ところが、中小企業の社員をほっといたらどうしようもない。ほっとけば、最小限の義務しか果たさない。無理もないと思う。多くは夢も希望もない人が多いのである。
もし、その社員が余所の会社の社員の2倍の生産性を挙げて働くとしたらどうであろうか。
2倍の生産性くらい難しくはない。単純労働でも30%位の生産性が上がる例も多い。そんな生産性の上がる社員を作るにはどうすればいいか。それは、「1:8:1」のルールが知られている。
しかし、大事なのは、全社員が生産性を上げることは出来ないということ。
まず、エースモデルを作ろう。社長の仕事はエースモデルを作ること。そのうちエースが出てきて、それを育てていくと、他の社員のレベルが上がってくる。
ここで、教育ということを考えてみると、なぜ、生徒が先生の言うことを聞かないのか、子供が親の言うことを聞かないのか。
それは「尊厳」されないからである。社長と社員にしても然りで、社長に軽蔑されたくないと、誰でも思う。逆に社長に誉められると3倍嬉しい。中小企業の従業員は、夢も希望もなく働いて楽しいわけがない。そこで一生懸命工夫努力成果をあげ誉められると人生そのものが全て生き生きとしてくる。仕事と人生と経営が一致するということは、こういうことではないか。
また社員には一回話しただけでは報連相などを実行できるのはマレである。人は何事も一回で分かれば楽であるが、そうはいかず、そこで教育というのは根気よく何回も言えば分かってくれるまで行うことではないか。
そして教育で大切なことは、叱るということ。叱らなければ子供は育ちません。叱るというのは強く教えることで、叱るのは大人の義務、経営者の義務。人の上に立つ者は叱らなければならない。叱ると、一時的には嫌われ、ふてくされる、泣く、騒ぐことがある。当方だって不愉快だが、必ず分かってくれる。一時的に相手に嫌な思いをさせることも大人だ。迎合してまで好かれる必要はない。立派になることを教えなければどうしようもない。
最大のキーワードは、1回では良くならないということ。1回でうまくいくとか、何か楽して儲かるということは、あるわけない。そういう人が多いから、やった人が良くなることは当たり前。能力のない人間は、人より苦労しなければと自覚思うことで進んで新しいことに挑戦し自分を磨き生かせ自信を持ち幸せをつかむのではないだろうか。
以上自らの課題や仲間を求め最も大切な人づくり、社員教育含めて刺激しあう会がとやまITベンチャーである。